結局「夢見りあむ」とは何だったのか
私はとある声なしアイドルの担当Pである。
毎年恒例のこの総選挙に参加するのも7度目だ。
「今年こそ○○にお声を!!」「定期的に出番くれるモバは神」「デレステのモデリング最高」「波が来ている!!」
今日も今日とて私のタイムラインには、お決まりのメンツによるお決まりのセリフが繰り返され、傷を舐めあっている。
声がつく前にサービス終了してしまうのではないだろうかという不安から目を背けて。
正直、ただの作業と化している感は否めない。
心を無にして、ひたすら連打。
中間投票前に忘れず投票。
1票入れてくれたライト層のらぶりつも欠かせない。
結果発表を見て、来年こそは!と克己する。
そんなマンネリ化した総選挙で、ある一大ムーヴメントが巻き起こった。
「夢見りあむ」の台頭である。
そもそも、新アイドル追加の時点でかなりの話題性を集めてはいた。
とはいえ、彼女のキャラクターはほとんどのプロデューサーの予想を遥かに上回るもので、良くも悪くも衝撃的であったのは間違いない。
「夢見りあむ」自体の考察はお気持ち表明ツイなどで既に目にしているだろうから、彼女自身については割愛させて頂く。
今、私が掘り下げたいのは彼女の出現に伴う影響についてである。
表向きただのクズである彼女の根底には確かに、アイドルへの神格化めいた何かがある、という事だけ抑えておけば、以下の文章を読むにあたってまず問題はないだろう。
さて。
アイドルへの過剰なまでの清純さ、清廉潔白さを求める姿勢に、私の胸にはある存在が重なった。
プロデューサー、もとい我々ユーザーである。
個人差はあれど、このアイドルマスターシンデレラガールズにおいて、キャラクターはそれぞれ、アイドルとして輝くためにそれなりの努力をしている。
天才肌のあのアイドルも、周りに目を向け、歩幅を合わせてみることの重要性だとか、そういったものを学ぶ描写があったように思う(担当ではないので、もし正確な捉え方でなければ訂正したい)。
しかし、「夢見りあむ」は違う。
正確には、まだ、違う。
3位を取ったことで改心させられてしまうのか、今まで通りクソマインドでいくのか。
そこは運営の力量にかかっている。
まぁ1位を取るには「努力」なんだ!と気づかさせられる展開な気はしているが。
ここで、先程も言ったように「夢見りあむ」が描く理想のアイドル像は、我々が元来応援してきていたアイドル達と寸分の狂いもないことを思い出して欲しい。
これこそが、彼女を憎みきれない所以なのではないだろうか。
少なくとも私はそうだ。
言葉が足りていないだけで(総選挙3位受賞のコメント参照)、アイドルとはどうあるべきなのかがしっかりと自身の中に確立されている。
その理想通りになれない自分に1番嫌気がさしているのは彼女。
そんな理想と現実とのギャップに苛まれている、というジレンマは、多かれ少なかれ我々も抱えているものである。
自己嫌悪、自己愛…それら様々なものが入り乱れたクソデカ感情を詳らかにされてしまったプロデューサー達。
ある者はお気持ちを表明し、ある者は投票をした。
あなた方が叩いたり、持ち上げたりしているのは果たして「夢見りあむ」なのだろうか。
…と、ここまでなるべく冷静に綴ったが、「夢見りあむ」が憎くないと言えば嘘になる。
もっと言えば、今回担当より上にランクインした全てのアイドルが憎い。
ただ。
憎い、という表現を用いるのには、抵抗感のあるプロデューサーがほとんどだろう。
それは、自分に担当アイドルがいるのと同様にそのアイドルにも担当プロデューサーがいて、ファンがいるから。
そして自分の担当アイドルのプロデューサーには他のアイドルsageを平気でするやつがいると思われたくないから。
私もそんなあなたがたのうちの1人である。
だから、憎いではなく、悔しい、という表現に留めるようにしている。
つまり、担当ではないアイドルについて深く言及することは忌避されている風潮が確かにあるはずなのだ。
しかし、「夢見りあむ」のおかげで大義名分を得てしまった。
他のアイドルはともかく、あの「夢見りあむ」ごときに(あえて強い表現を用いさせて頂く)、自分の担当は適わなかったのだ。
勿論「夢見りあむ」担当プロデューサーだっているはずだ。
しかし、彼女は炎上キャラだから。
他者を煽る言動をするから。
「りあむ3位wwwやべぇなwwwww」というツイートが許されるのである。
他のアイドルで、このようなツイートが軽々しくできるだろうか。
私にはできない。
改めて。
「夢見りあむ」がもたらしたのは、ただ単にアイドルマスターシンデレラガールズへの注目度の上昇、新展開だけではない。
まずは、選抜組と夢見りあむがどう絡むのか楽しみにしておきながら、作業と化すであろう来年の総選挙に向けて準備したいと思う。
その前にミリシタでASイベ走ろっと。